こんにちは!現在2歳のMDツインの女の子の双子を育てているNANAです。
私は、高齢出産に入ると言われる35歳で双子を出産しました。
周りには双子ママがおらず妊娠中は不安になることも多くありました。
妊娠・出産も十人十色ですが、少しでもMDツインを妊娠されているママの参考になれば嬉しいです。
喜びと戸惑いの初期~中期
お休みをしたターンで自然妊娠
32歳で結婚し、なかなか妊娠をしないまま迎えた34歳の春。
思い切って、不妊治療専門のクリニックへ行ってみることにしました。
様々な検査を受けながらなかなか妊娠に至らない日々。
何度目かの排卵検査を予定していた日にちょうど旅行に行く予定があり、気持ちをリラックスしたかった私は思い切って検査を見送り
夫と楽しみにしていた島旅に行くことにしました。
すると、旅で妊活のことを忘れてリラックスしたのが良かったのか旅から帰って3週間後、自然妊娠が分かりました。
続く体調不良・・・まさかの双子だった!
念願の妊娠が分かってからすぐにつわりが始まり、寝ても頭痛がとれないということが続きました。
思ったほどはつわりは重くありませんでしたが、魚を焼く匂いやごはんを炊く匂いがダメになり…買ったおにぎりとお味噌汁だと食べられたのでそのメニューばかりを食べていました。
立ち仕事をしていたある日、いきなり目の前がチカチカと光りぐるぐると目が回るような感覚で、立っていることができなくなり息苦しさを覚え、その場に座り込んでしまいました。(その後も、妊娠中はこのようなことが何度かありました)
この時はまだ赤ちゃんは1人だと思っていて体調のことを重く考えていなかったのですが、今思えば、2人の赤ちゃんを育てていた体は悲鳴をあげていたのかもしれません。
あまりの体調の悪さにすぐに産婦人科へ行くと、まさかの双子!
膜性診断を行うため、その日の診察はかなり長かったです。
とても驚きましたが、病院からの帰りは、不安よりも嬉しさが勝っていました。
私はフリーランスで仕事をしていたのでその先の不安がありましたが、きつい仕事はお断りをして、もう、無理をすることはやめよう、と心に誓いました。
ネット検索魔になり、不安の渦へ・・・
しばらくすると、現実的なことが胸に押し寄せてきました。
胎盤を2人で共有しているMDツインだったため「安定期はないと思ってね」と言われていました。
先生からは
- 1つの胎盤を共有している一絨毛膜二羊膜のため、2人の間に不均衡が起こるリスクがあること
- NICUのある総合病院への転院が必要であること
を説明されました。
何事もそうだと思いますが、不安なことを検索すると不安な記事が出てくるので、それを読んではまた不安になる、ということを繰り返していました。
でも、せっかくの妊娠期を不安に押しつぶされてすごすのはもったいないと思い、信頼できる病院の先生のお話と自分の体の感覚を信じることに決めました。
はじめての胎動
妊娠5カ月に入るとつわりは大分落ち着いてきて、妊娠18週の時に、初めて「これだ!」と思う胎動の感覚がありました。
私の場合、「ぽこぽこ」という叩いているような感覚ではなく、「ぐにゅーん」と、移動している、というような感覚に近かったです。
エコーで見る双子それぞれの定位置は決まってきていましたが、どちらがどちらの胎動かはあまり分かりませんでした。
この頃は2週間に一度の検診感覚で、検診までの間がとても長く感じました。
待ちに待ったエコーで2つの心臓が動いているのを見ると、その奇跡に感激と安堵をして、毎回涙が溢れていました。
里帰り先の病院を受診
里帰り出産をするつもりだったので、NICUのある地元の総合病院を妊娠20週の時に受診しました。
妊娠生活は順調だったものの、転院先の先生からは、改めてリスクの説明と共に
- MDツインの妊娠でいつ何が起こるか分からないので早目に里帰りした方が良いこと
- 検診間隔は1週間に1度になること
- 経過が順調でも年齢的のことも考えて管理入院は妊娠28週からになること
- 自然分娩と帝王切開での双子出産の違いについて
(私が出産した病院では多胎は基本的に帝王切開の方針でした)
などの説明がありました。
早目の里帰りを強く勧められ、1カ月ほど前倒しをして実家に帰ることに。
これまでは比較的経過が順調だったので「双子を妊娠している」ということが、リアルにとらえられていなかったのですが、先生からの説明がより現実的で「いよいよ、双子出産に向かうんだな・・・」という現実感が押し寄せて、引き締まるような、怖いような気持ちになったことを覚えています。
そして、長い管理入院生活が始まりました。
2カ月ほどの管理入院
管理入院してすぐに、喘息発症!
予定通り妊娠28週で管理入院がスタートしました。
入院したのは2月。
外は真冬で、入院の荷物の中には体を冷やさないようにと厚手の服をたくさん持ってきていたのですが…案内された大部屋に入ると、妊婦さんが全員、半袖!
そして、部屋の中には扇風機が!
確かに、部屋の中が暑くとても冬服ではいられませんでした。
古い総合病院だったので部屋ごとの空調の調整が難しいようで、暖房で暑い部屋は加湿器もなく、かなり乾燥していました。
気管支が弱かった私は、その翌日から咳が止まらなくなってしまいました。
夜中になると咳込みが特にひどくなるので、当初は大部屋だったため気を遣ってしまい、夜中は1人でロビーで過ごしました。
看護師さんに咳き込みのことは伝えていたのですが、外来などで忙しい先生になかなか繋がらず、長い長い夜を何日か超えてやっと院内の担当科にかかることができました。
今思えば、もっと強く担当科に回してほしい、という旨を伝えていたら良かったと思います。
診断は、喘息。
家では大丈夫だったのでまさか管理入院をしてから妊娠以外のところで体調不良になるとは思ってもいませんでした。
入院する病院の施設状況の事前に確認しておけばよかったと感じました。事前に自分にとって必要な物(加湿器など)を準備しておくことができたと思います。また、遠慮せずにはっきりと自分の体調や気持ちを伝えればよかったと思っています。
妊婦仲間との励まし合い
担当科の先生に診てもらい薬を処方してもらってからは大分喘息の症状が落ち着いてきたのですが、まだ咳き込みは続いていたため2人部屋を希望して、移ることにしました。
(加湿器を持ち込み、今度は最初から乾燥対策をばっちりしました。2人部屋だったので大部屋よりも小さい部屋で、加湿がしやすかったです)
最初に同部屋になったママさんは単胎妊婦さんでしたが予定日が偶然にも一緒で、気さくな方でとても支えられました。
そのママは妊娠高血圧症候群で毎日の点滴や痛みの強い注射にも耐え、32週で緊急帝王切開で出産しました。
次に同部屋になった単胎妊婦さんも幸いとても親切な方で、消灯の時間になってからも子どもに付けたい名前や退院したらしたいことを話したりして、ストレスのかかる入院生活の励みになっていました。
そのママさんは切迫早産で早い時期から張り止めの点滴をしていて、副作用にとても苦しんでいました。
単胎・多胎関係なくみんな命がけでお腹の子を守ろうとしている母なんだということ、無事に生まれてくるというのは決して当たり前のことではないということを実感したのはこの入院生活と、そこで出会った同士の存在があったからだと思います。
つらい時は一緒に泣いたり励まし合ったりした同部屋ママさんとは、今でも仲良くさせてもらっています。
また、管理入院生活でリラックスに一役買っていたものは
- 日記帳
毎日の入院生活や双子への思いなど、その時しか書けないことを書いていました - アロマオイル
爽やかな柑橘系のものをよく使っていました。
アロマオイルは妊婦にはNGなものもあるので注意が必要です - ポータブルDVDプレーヤー
横になって入院中よく見ていました。今も子供連れの移動中のぐずり
対策などで活躍しているので買って良かったです! - 文庫本サイズの本
大きめの本は開くのも辛くすぐに疲れてしまうので、手のひらサイズの本をネットでたくさん買っていました - 抱き枕
とにかくお腹が大きくて楽な体勢が見つけづらいのですが、自宅でずっと使っていた
抱き枕があると少し楽に過ごせました。今は双子がこれでよく遊んでいます! - 朝日を浴びてのティータイム
毎朝、大きな窓に朝日が差し込むロビーに朝早く行って、ノンカフェインの温かい飲み物を飲むようにしてリフレッシュしていました
入院生活のスケジュール
私が入院していた総合病院では、以下のような1日のスケジュールでした。
7:00 | 起床 |
7:30 | 朝食 パン食かごはん食かを前の週に選ぶシステム |
8:30 | 順次NST NST=ノンストレステスト。赤ちゃんの心拍やママのお腹の張りをチェックするテスト。仰向けの状態でお腹にモニターをつけて計測します。 |
10:00 | 空き状況を見てシャワー 点滴していなければ毎日、点滴になってからは週に2日でした。 |
11:30〜13:00 | 面会時間 |
12:00 | 昼食 食事制限が特になければ、昼食と夕食は+料金で別メニューに変更することもできました |
15:00 | おやつ ビスケットやプリンなどが多かったです。たまにケーキも。 |
16:00-20:00 | 面会時間 |
18:00 | 夕食 |
20:00 | 順次NST NST=ノンストレステスト。 |
21:00 | 消灯 |
入院生活は退屈に感じることも多かったのですが、毎日双子の心音を聞くことができるので安心することができました。
今思うと、無事に出産することがゴールのように感覚になってしまっていたので、時間のあったこの時期に、産後の双子育児をイメージすることがもっとできていたら少し覚悟が違ったかなあと思います。
33週で急に体調が悪化
それまで張り止めの内服と、貧血気味だったので鉄剤の薬を服用していましたが、点滴はしておらず、比較的妊娠経過は順調でした。
このまま点滴なしで出産までいけたらいいなあと思っていた33週に入ったその日、ベッドから起き上がれないほどの腰の痛みが襲いました。
お腹がかなり大きくなっていたので病院のベッドの柵にもたれかかるようにして座っていることが多く、腰への負担が大きくなったようでした。
腰だけでなく、段々とお腹が固くなり痛みを伴うようになり冷や汗が出始めました。
同部屋のママさんが異変に気付いてナースコールを押してくれて、すぐに診察へ。
数日前の診察では大丈夫でしたが、この時はかなり子宮頸管が短くなっており、即点滴に。
痛みと、不安とで、この夜は泣きながら過ごしました。
長引く入院のストレス
入院してから1カ月半。24時間点滴生活も始まりほぼベッドから動けず…入院も長期になってきていて段々と気持ちが沈んでいきました。
私は里帰り出産だったため、夫と会えるのは2週間に一度ほど。
両親はよく来てくれましたが仕事もあり忙しいため面会時間はあまり長くありませんでした。
また、入院時期がインフルエンザ流行期だったため、面会は家族のみに限られ友人などにも会うことができませんでした。
携帯電話も使用場所が限られており、点滴で繋がれている身だと、点滴の充電がなくなってしまうため長時間電話することもできず…1人で気持ちを抱え込むことも増えていきました。
この頃は看護師さんの対応にも傷ついて悲しくなってしまったり、メンタルがかなり弱っていたように思います。
急激に悪化した体調に「お腹の中にいる2人をちゃんと守れるのだろうか・・・」と不安で何度もベッドの上で涙していました。
今思えば、もっと夫や両親に、自分の辛い気持ちを吐き出せば良かったかなと思います。
予定を早めて36週で帝王切開
35週に入るとお腹がかなり大きく、どの体勢でも息苦しさを覚え食べられる食事の量が減っていきました。
少しでも食べ過ぎるとすぐにお腹が張って固くなってしまうので、少量ずつよく噛んで食べるようにしていたように思います。
体を起こすことが辛かったので、水を飲む時に横になりながらでも飲めるペットボトルに取り付けるストロー付きのペットボトルキャップがとても役に立ちました。
(私は100均のものを使っていました!)
予定の帝王切開は、37週2日。
1日1日がとても長く感じました。
35週頃からは、これまで正常値だった血圧が急に上がるようになり、1日3回血圧を測るようになりました。
日々上がり続けていく血圧に、ついに緊急の診察に。
先生の診察では、このままだと母子共に危険な状態になり得るとの説明があり、「明日、帝王切開しましょう」との言葉がありました。
1日でも長くお腹の中にいてもらいたかった私は、たまたまその日に面会に来ていた夫の前で、不安で泣きました。
その時に夫が言ってくれた、「大丈夫。明日が、子供たちにとっても、きっとベストなタイミング。これまでの妊娠生活、がんばってくれて本当にありがとう」という言葉が前を向く気持ちをくれました。
そして、36週2日。
予定よりも1週間早く我が家の双子と対面するその日がやってきたのです。
36週でいよいよ出産
いよいよ迎えた出産当日!
予定を早めて急きょの出産だったため、手術室の空きをみての出産と伝えられました。
前日に突然の手術を告げられたため、まだ心の準備はできていませんでしたが、看護師さんの「双子ちゃんたち、早くママに会いたかったんだね」の言葉に涙が出そうになったことを覚えています。
前の手術の進み具合によって自分の手術時間が決まるため、午後からは張り止めの点滴を抜いて待機。
前夜からは絶食だったため、主人が食べていたゆで卵とおにぎりが美味しそうに見えて仕方なかったです(笑)
お昼12時に2カ月ぶりに張り止めの点滴を抜いてから5時間が経過した午後5時頃。
やっと手術室に呼ばれました。
その間は張り止めの点滴が急に抜かれたため、お腹の張りが強く、待っている間、段々と会話するのも辛くなっていました。
ドキドキの手術室
手術室にはUSENのJPOPが流れていて、先生方も世間話をされていて、思い描いていた手術室の雰囲気とはだいぶ違いました。
手術への怖さと共に、2カ月半の入院生活を振り返り「双子たちにやっと会える!」というわくわく感もありました。
麻酔がなかなか入らず、先生は苦労しているようでした。
麻酔時はあまり痛みを感じませんでしたが、麻酔がきいているかのチェックでつままれている感覚はあるので、本当に効いているのか少し不安だったことを覚えています。
手術室には助産師さん2人・先生2人・看護師さん数名と小児科の先生が2人いました。
喜びと不安の出産直後
手術が始まってから、時間の感覚的には割とすぐに「1人目でまーす!女の子です!」と先生の声が響きました。
「おぎゃー!」という泣き声に、「元気なんだ!」という嬉しさと感動が押し寄せてきました。
誕生して小児科の先生の診察を終えてすぐに助産師さんが、長女を私の横に連れてきてくれました。
小さなその手を握るとすぐにきゅっと握り返してくれたことの感激は、今も忘れられません。
続いて1分後に次女が誕生。生まれて瞬間は泣き声が聞こえたのですが、その後泣き声が聞こえない気がしてとても不安になりました。
次女は長女の時のように触れることはできず、「2人目ちゃん、NICUでお預かりしますね」と助産師さんに言われ、胸が締め付けられるような思いを感じました。
産後の母の様子
双子を出産してまだ手術室にいる時から、吐き気がひどくありました。
入院部屋に戻ってからは高熱がでて後陣痛が辛く、自分の辛さでいっぱいだったことを覚えています。
翌日からの歩く練習がかなり大変でした。
産後の子どもたちの様子
長女は手術後当日から母子同室になり、初めての赤ちゃんのお世話に、私はおろおろしながら向き合っていました。
NICUには入りませんでしたが低体重児だったのでとても小さく感じ、壊れてしまいそうでとても緊張感がありました。
NICUに入院していた次女に会ったのは、手術の翌々日でした。
何本かのチューブに繋がれていた次女を見ると自然に涙が溢れてきました。
そんな私に、NICUの看護師さんたちがとても親身に寄り添ってくれたことを、今でもよく覚えています。
産後や育児中もそうですが、何か辛い気持ちや孤独を抱えた時に、「同じ目線に立って寄り添ってくれる」という気持ちを感じることで救われた気持ちになりました。
双子の1人を残して退院へ
次女には低体重・低血糖に加えて肺の気胸が見つかりました。
幸い経過はよく、1週間ほど入院が必要とのこと。
長女と私は手術後6日目で一足先に退院することに。
当時、ホルモンバランスもあり、次女だけをNICUに残して退院することに涙が止まりませんでした。
退院前に準備したもの
- 色違いの服
一卵性で区別がつかないかもしれない不安があったため、それぞれのカラーをピンクと黄色で分けて服を用意していました。
→一卵性ながら親からは全然違って見えたので分ける必要ありませんでした - レンタルのベビーベッド
→我が家は双子の起こし合いがひどく、早々大人用シングル布団に切り替えたので2カ月ほどで返却 - ラック1台
→後ほど電動のネムリラを追加し、2台体制で使用していました
出産・産後を振り返って
産後は体の回復に時間がかかり、ホルモンバランスの影響からブルーになってしまうことも多くありましたが、出産時の感動は3年経った今も鮮明に覚えています。
今は3歳になってケンカも激しい2人ですが(笑)、初めて聞いたあの泣き声を思い出すと母としての初心を思い出します。
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