医療的ケア児って知ってますか?【みつごと医療ケア生活】

三つ子の男の子を育てています。うち一人は、医療的ケア児です。
社会的にもまだまだ認知度の低い医療的ケア児と、そうでない子どもを同時に育てている私の葛藤や、記録を残したいと思います。同じように悩まれている方の参考になれば幸いです。

今回は出生後の子どもたちの様子と、一人が医療的ケア児になった経緯についてお話します。

三つ子のうち1人が医療的ケア児

29週0日で三つ子を出産しました。
次男・三男は1kgをこえていたのですが、長男は1番小さく970gで産まれました。

NICU(新生児集中治療室)

出生後は3人とも、保育器に入ってNICUへ。出産週数が浅く、まだ自発呼吸ができなかったので、全員口から挿管をしてもらい呼吸をしていました。

NICUとGCUの面会は、子どもの両親、および、祖父母であれば両親のどちらかと一緒に面会可能というルールでした。次男三男が退院する2ヶ月弱の間は、ほぼ毎日、私の母に運転してもらい一緒に面会へ行っていました。少しでも子どもたちと触れ合いたいと思い、搾乳し冷凍した母乳を持って行きました。

子どもたちの日々の成長が嬉しかったです。ある日、抜管して、自らの呼吸(自発呼吸)に移行していた3人だったのですが、長男は抜管後の自発呼吸がうまくいかず再挿管→抜管を繰り返してしまいました
はじめは「小さく産まれたからチャレンジしたけどもう少し時間が必要だったんだな」と思って医師からの話を聞いていたのですが、2度目、3度目となると「どうして」「なんで」と、思うように…。

次男三男は1ヶ月ほどでGCUへ行き、長男より後に産まれた周りの赤ちゃんたちも管や点滴がどんどんとれて、大きくなってGCUに移っていっていたので、気付けばNICUに長く居る子になっていました。大きな不安と焦りを感じました。

次男三男が退院してからは週に3〜4日長男の体拭きや抱っこができる日に合わせて、母に2人を預けて通っていました。この頃帰宅した2人も3時間おきのミルク。家から病院までが片道40分かかるため、長い時間滞在はできず長男との時間も欲しい、けど家の2人も心配で面会に行っても時計ばかり気にしていました。
夫は仕事が早く終わった日や、休日は出来るだけ会いにいっていました。

長男は抜管した後、自発呼吸だけでは難しかったため、呼吸を助けるためのチューブを鼻につけてNICUから小児科病棟へ行きました。

退院練習と、突然の呼吸苦

小児科病棟では鼻のチューブを外す時間を増やしていき、夜だけつけるまでに辿り着きました。退院指導や退院後の生活の練習のための母子同室もさせてもらえるようになった頃、突然原因不明の呼吸苦になってしまい、1日中鼻のチューブをつける日々に逆戻りしました。

母子同室も何度かチャレンジして鼻につけるチューブや機械の使い方も覚えていつ退院できるかな?と浮かれていた時だったのでショックでした。

呼吸苦になってからは呼吸音も潰れて、くっついてるような、聞いていても苦しくなるような呼吸音で、心配でたまりませんでした。
この頃から気管切開という言葉が、ちらほらいろんな先生の口から聞こえてくるようになりました。

気管切開(きかんせっかい)とは
自分で呼吸をすることが難しい場合に、口から管をいれ(挿管し)人工呼吸器などで呼吸をサポートします。しかし、挿管された状態では退院して自宅で生活することができません。その場合、空気の通り道である気管(喉のあたり)を切開して、その部分から気管にカニューレという装具を挿入して気道確保します。呼吸のサポートが必要な場合、退院するための処置が気管切開です。気切と略すこともあります。

できることなら体に穴なんてあけたくない、そのままの状態でチューブをつけるだけで頑張れるなら頑張ってもらいたい、気管切開をして今聞こえてる長男の声が聞こえなくなるのは絶対嫌だと、今思い返せば私は長男のことよりも自分のことばかり考えて長男を苦しめる時間を伸ばしてしまっただけなのでは?と後悔もあります。

担当医の先生から「次、再挿管することになれば、気管切開をして退院します」と言われ目の前が真っ暗になりました。
嫌な予感しかしませんでした。

再びの呼吸苦

その日から気管切開について調べたり看護師の友人に話を聞いたり、その日が来ないままの退院を望んでいましたが、ある日の早朝に病院からの電話で「呼吸苦になり再挿管をしました」と言われました。

なぜか電話があった日は深夜のミルクの後なかなか眠れずスマホをいじっていた時に電話が鳴りました。朝の5時すぎの電話だったので、良い報告ではないだろうと体が震えました。医師から「呼吸が苦しくなり、酸素も下がった為、再挿管しました」と言われると同時に涙が溢れ出て苦しくなって「わかりました」と言うのが精一杯でした。次の日は面会時間の開始直後に会いに行きました。

長男に会いに行くとNICUに戻ってお薬で眠っていました。昨日までは元気だったのに保育器に戻され、裸で口に挿管されて眠っている姿が、私には死んでしまっている様に見えて長男に触れるのが怖かったのを今でも鮮明に覚えています。

人生で一番早く過ぎた4日間

それから4日後に気管切開の手術を受けました。

再挿管から手術までの4日間の間に色んな科の先生からの説明や同意書、家に帰ったら手術を受ける事に対しての自分の中での気持ちの整理や家族で気管切開後のことについて話をしたり人生で一番早く過ぎた4日間でした。

気管切開手術を受けた後には病名も「声門下狭窄」とつきました。長男は気管切開児となりましたが、その2ヶ月後無事退院して今では3人一緒に暮らしています。

次回更新予定

医療ケア児含む三つ子を育てる、一日のスケジュールについて後日公開予定です。

編集部より

多胎児ママはそうでないママと比べ、鬱や、虐待リスクが高くなる…という事実があると医療監修記事でご紹介しました。更に、一人が医療的ケア児である等、どうしても手がかかってしまう場合に、リスクが高まるそうです。
多胎育児も、医療的ケア児の育児も、どちらも本当に大変なことなのに、その両方をこなさなければならないママやご家族の多忙さ・孤独感は計り知れません。

そんなご家族の気持ちにも寄りそいたい。
できることなら、そのような状況になった方が、穏やかに受け入れられるように…医療的ケア児を含む多胎育児をしながら幸せな生活を送っていることや、具体的な暮らしの知恵、地方自治体のサポートの活用等を当事者の方に伝えて頂きたい。
そう考えていた時にゆきりんさんにご協力頂けることになりました。本記事は編集部がゆきりんさんへのインタビューを元に作成しております。

ゆきりん

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1歳の3卵生の男の子達と4羽の鳥さん達と暮らしています。 長男は医療的ケアが必要な気管切開児(気切っ子)です。 手探り状態な医療的ケア児との生活や3人との日...

プロフィール
  1. ゆきりん

    藤田先生
    コメントありがとうございます。
    入院が長かった為、発達の事心配していましたが、次男三男との日常を通して、出来ないこともまだ多くありますが、入院中に比べ沢山の成長、発達をみてせくれています!私も悩んだ時ネットで色々調べたので、同じ境遇の方々の元に届くと嬉しいです(^^)

  2. 藤田 真弥

    当サイトで医療監修をしている小児科医の藤田です。
    子どもの発達を考えれば家が1番とはいいますが、医療ケアを持ち帰る葛藤がとても伝わってきました。
    今まさに子どもの気管切開や胃瘻造設などで心を痛めているご家族が、この記事にたどり着けたら、きっとプロフィールの愛おしい子どもたちの姿に励まされると思います。貴重な体験談をありがとうございます。

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