【知って欲しい 「障がい」を持つ多胎児との生活①】双子が脳性まひと診断

  • 2020年1月9日
  • 2020年2月25日
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知って欲しい
「障がい」を持つ多胎児との生活

我が家の双子は2歳を目前に身体に障がいがあることが分かりました。
多胎育児の支援不足は感じてきましたが、ハンデを抱える多胎児は更に支援がありません。

障がいや病気の人を知らないからこそ壁を感じたり、誤解が生じ、抵抗や怖いという気持ちになってしまうと感じています。
だからこそ知ってもらい、障がいや病気に対する壁や抵抗、怖さをなくてしいきたいです。

まずは知ってもらうことからはじめたいと思い、自身の経験を中心に「障がいを持つ多胎児との生活」について発信しています。

今回は「障がいがあるとわかった経緯」についてです。

34週を目前に緊急帝王切開

妊娠30週を迎える頃、それまで処方されていた張り止めの飲み薬では張りを抑えることができなくなり、検診で受診した日にそのまま緊急入院することになりました。

入院中はベット上安静指示が出ていて、移動できるのはトイレのみ。24時間張り止めの点滴を打ちながら副作用に耐えるのはつらかったです。

その後、妊娠33週6日で子宮口が開いてしまい、緊急帝王切開になりました。1657gと1544gで双子の男の子を出産しました。
肺が完成する前での出産だったため、呼吸器をつけてNICUへすぐに搬送。ミルクはチューブで流し込まれていました。

自力で哺乳瓶から飲めるようになり、NICU(新生児集中治療室)→GCU(回復治療室)へ移動になりました。生まれて一ヶ月半(修正2週間)で退院しました。

退院時は、早産による貧血があることが指摘されており、退院後も鉄剤を服薬するようにいわれていました。
この時、貧血以外は特に異常は見当たりませんでした。

発達は平均より早いくらい

早産児の場合、退院後に異常所見がなくてもフォローアップ検診に通院することが多いです。

フォローアップ検診とは
早産や未熟児で生まれた子どもを対象に、退院後の発育発達を見守ることを目的にした定期検診のこと。子どもがNICU・GCUに入院した病院で1〜3ヶ月間隔で通院しながら成長を見守ります。

言葉が遅かったり、食物アレルギーや軽いアトピーが不安でしたが、寝返り・おすわり・はいはい・一人歩きまでの運動能力の発達はかなり順調でした。
早産にも関わらず、平均よりも運動面の発達が早く、医師もおどろくほどでした。

1歳頃に、はじめて一人歩きを開始したものの、数ヵ月経っても歩数がなかなか伸びず。自力で立ち上がって歩き出しても、すぐにつまずき、よく転んでいました。
転ばずに歩けるのは10歩程度。でもそのうちもっと歩くようになるだろうと、様子を見ていていました。

…しかし、いつの間にか自力で立ち上がることも、一人で歩くこともなくなってきました。
家の中での移動は、四つ這い(はいはい)ばかり。「はいはいが好きなのかな?」と思いながら様子をみていましたが、「もうすぐ2歳になるのにこんなに歩かないのはおかしいのではないか?」という疑問が。

2歳直前、予約していたフォローアップ検診を受けに行きました。これまでの担当医師が異動してしまうため、引き継ぎで新しい担当医師の初受診の日でした。

医師から「なにか気になることはありますか?」という質問があり、「歩き出したものの、歩数が伸びず、いつの間にかはいはい移動しかしなくなった」ということを話しました。

すると足首などを触って体をチェックした先生から「脳性麻痺の可能性があると思います。MRIで検査しましょう」と告げられました。

その時はじめて〝脳性麻痺〟が原因で歩行困難になっているのかもしれない、ということを知りました。

〝脳性麻痺〟かもしれない

診察後、双子の弟と一緒にトイレへ。
トイレの個室でなにも知らずにニコニコ笑っていて…

「こんなに元気そうなのにどうしてこの子が病気なの?」

いまとっても辛いことを疑われているのにニコニコして何も知らない子どもたちを思うと、とにかく辛くて、その笑顔をみながらトイレで泣きました。

「〝脳性麻痺〟かもしれない」というワードを聞いたときは、「え…?聞いたことがある病名だけど、どういうこと?」と思いました。

先生から説明を受け、脳性麻痺とは出産前後に脳がダメージを受けることにより主に歩行に影響がでるケースが多いことを知り、出産から退院までの間に何も異常を疑われたず、運動面の発達も早くて一人歩き開始まで順調な発達だったのに…「どうして今になって病気があるかもしれないの?」と、とにかく不思議で、ショックでした。

脳性麻痺の場合、MRIに異常部分を確認できるケースが多いため、まずはMRIで脳を検査することを提案されました。
はっきりと判明するのならば検査を受けようと思いました。

しかし、実際に検査を受けるときには「どうか異常がうつりませんように。なにもありませんように」と祈る気持ちで受け、結果がわかるまでの一週間はとてもつらかったです。

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野上文代

不安から検索魔に

もし異常がうつっていたらどうしよう・・・
一生歩けないかもしれないなんてことになったらどうしよう・・・

そんな不安で頭がいっぱいになりました。
そして検索魔になり、ネットで〝脳性麻痺〟について調べまくりました。
夫もかなりショックを受け、夫も脳性麻痺について調べていました。

「考えても不安になっても、検査を受けて結果を待つしかないから、調べすぎると余計に不安になるし調べない方がいい」と夫からは言われましたが…

もし脳性麻痺だったらどうしたらいいのか?
母親のわたしにできることはなんなのか?

そう思うと調べずにはいられませんでした。

結果として、脳のMRIにも腰のMRIにも異常は見つかりませんでしたが〝細胞レベルで脳が損傷している場合、MRIではうつらない〟と先生がおっしゃり。
MRIにはうつらなくても、足の症状などの所見からすると〝脳性麻痺である〟と診断されるに至りました。

夫婦で共有できた涙

夫婦でたくさん泣きました。

この子たちがどうして病気なの?
障害児なんてことになったの?
なにも異常がなかったはずなのに。
なにも悪いこともしてなのに、どうして歩けないなんて病気になってしまったの?

と、泣かずにはいられませんでした。
わたしが泣きじゃくり、そのとき初めて夫の涙をみました。

「俺だって辛いよ…」と夫の涙を見たとき
普段はかなり冷静で頼もしい夫でも
本当に子供のことを愛して心配してくれているから辛くて涙がでるのだと感じました。
つらいのは夫も同じでした。

二人で話し合い、気持ちを確かめ合いました。

できることを夫婦一緒に
家族一緒に頑張っていこう
やれることをやるしかない

否定的な親戚と
受け止めてくれた義両親

わたしの親戚からは

「障がいがあるなんて…」
「医者の誤診だ」
「歩けない人生なんて大変だ」
「立っている写真が見たい(健常児であると安心させてほしい)」など

かなり否定的な言葉を投げかけられ、本当につらかったです。

もちろん、わたしは病気で双子を産みたかったわけではなく、脳性麻痺はわたしが原因ではないとのことですが…健康に産んであげられなかった自分を責めました。
「一番辛いのは産んだわたしなのに、どうしてこんな酷いことを言われなきゃならないの?」とたくさん泣きました。

夫の両親の反応は正反対でした。

一生歩けないかもしれないことや、病気のことを伝えると「え…嘘でしょ…?」と言いながら一緒に泣いてくれました。「祖父母としてできることはなんでも手伝うから」と言ってくれました。

義母からは「ちゃんと夫の前で泣いてる?たったひとりのあなたの夫とつらさを分かちあわないとだめよ。泣くのを我慢しないで、夫婦なんだから頼らないと。あなたの気持ちを一番理解しなければならないのは夫なのだから」と一言。

自分の親戚からキツい言葉を投げかけられて、精神的にも追い込まれましたが、義理の両親は本当に優しく、理解のある二人でした。
夫と結婚したこと、義理の両親がこんなにも大切に思ってくれることが、とにかく嬉しくてありがたい気持ちでいっぱいになりました。

理解してくれる人、支えてくれる人を大切に生きようとそのとき心に決めました。

理解してくれない人にいくら説明したり、わかってもらおうとしても難しい。
そこに労力を注ぎ、傷ついてメンタルに負担をかけることは、自分自身の心を守れないと思いました。

わたしが元気でなければ、子供たちも家族も支えることはできない。
そう思うからこそ、自分の親戚とは距離をとることにしました。

〝障害があると判明したなら受け入れられない〟

障害を疑われたとき、告知されてからの数ヶ月はとにかくつらい日々でした。

自責の念を感じたり、障害が判明した途端に、利用していた一時預かりからも「障害があると判明したなら利用は受け入れられない」と断られてしまいました。

障害が判明する前は幼稚園に入園させてあげたいと思っていて、市内のあちこちの幼稚園に問い合わせましたが、入園を拒否されました。

「障害のある子(歩けない子)は行く場所がない」という現実を突きつけられ。お先真っ暗でした。

今後、幼稚園にも入れず、一時預かりの利用もできず、どうやって生きていったらいいの?と絶望しました。

絶望から前向きになるきっかけは〝障害者手帳の取得〟でした。

障害者手帳の取得

障害者手帳は〝障がいが固定された〟と認められなければ取得することはできません。

「手帳の取得=障害児者である」ということになるので、障がいがあると認めたくない保護者の場合、手帳を取得したくないと考えるケースがあるそうです。

我が家は手帳取得にためらいはありませんでした。

手帳を取得することにより、サービスや支援を受けることができるようになるからです。

たとえば、手帳所有者のみが利用できる一時預かり施設の利用や、体のために必要な装具や歩行器の購入も原則は一割負担での購入。通院にかかる交通費の割引や、税金の控除などが挙げられます。

手帳の取得によりサービスが利用できれば、子どもたちにしてあげられることが増えると思ったのです。

実際、手帳の制度を利用して、子どもたちのためにできることが増えたことで少しずつ前向きになりました。

いくら障がいを悔やみ、恨んでも、今後のことを不安になって考えても…結局は親のわたしたちが今できることなんて限られるのだと思うようになり、〝ひとつひとつ、目の前のできることを前向きに取り組む〟という考えに至りました。

目の前の〝できること〟前向きに

障がいに嘆く人生より、いま目の前にある子どもたちの笑顔を大切に、前向きに楽しく生きる人生の方がいいと思いました

あちこちの幼稚園から入園を拒否され、市役所からも肢体不自由児が入園できる幼稚園も保育園もないと言われ…一度は、諦めて療育園に入園しました。
しかし入園して半年、子どもたちの可能性を信じて療育園を退園する決意をしました。

脳性麻痺の情報を得たり、同じように脳性麻痺の子を育てるご家族との交流イベントに参加し、繋がりができると、肢体不自由児でも入園を受け入れてくれる幼稚園があることを知りました。

園長先生との相談や園の見学を経て、一般の幼稚園に来年度の年中さんから入園することが決まりました。
前例がないから無理だと諦めず、行動することの大切さを感じています。

諦めずにまずはチャレンジしてみよう!と動けるようになったのは「子どもたちのために!」という思いからです。

知ってもらうことから始めたい

「障がいや病気があるからわかってもらって当然」「配慮されて当然」という考えは持っていません。

障がいや病気の人を知らないからこそ壁を感じたり、誤解が生じ、抵抗や怖いという気持ちになってしまうと感じています。

だからこそ知ってもらい、障がいや病気に対する壁や抵抗、怖さをなくてしいきたいです。

我が家のツインズが健常児と一緒に育っていくことで、〝こういう子もいるけど、変でもないし、可哀想でもない〟とまわりに知って欲しいです。

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