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年子で双子を妊娠出産した経験談

こんにちは、chakiです。
1歳と0歳0歳の3人。年子の双子を育児しています。

よく街中で、「双子ちゃんなの?でも双子より年子の方が大変よ~」
と声をかけられることがあるのですが
「年子で双子なんです」
と言うと、返す言葉もなく早々と離れていく方が多いです…。

単胎だろうと年子だろうと双子だろうと、3つ子だろうと4つ子5つ子だろうと、育児はいつだって何だって大変なのになあと、思う日々です。

子育てをしているみなさん、毎日お疲れ様です、私たち偉いですよね。
そんな私の妊娠発覚から出産、現在までを書きました。
きょうだいが欲しいママ、上の子がいて妊娠しているママ、年子ママの参考になれば幸いです。
きょうだいが増えるって嬉しいけれど、第一子の時とは違う悩みや不安、あるんです。

あらすじ

妊娠発覚時、長女は7ヶ月


夫に「妊娠してない?調べてみたら?」と、言われるがまま検査してみたんです。妊娠していました。エスパーなんですかね。私に妊娠の自覚はありませんでした。
2学年差できょうだいを考えていました。でもまさか、2学年差のきょうだいを授かる12回あるチャンスのうちの1回目で授かることができるなんて思いもしませんでした。予定日は4月。年子じゃないじゃん?と思う方、大変恐縮ですがどうぞ最後までお付き合いください。
翌日には7ヶ月の娘をエルゴで抱っこして、近くの総合病院に行きました。まだつかまり立ちするくらいの乳児です、7ヶ月って。今考えてもぞっとします。なんせ今我が家の双子は6ヶ月。こんな状態で当時妊娠発覚したのかと思うと、よく乗り切ったなと思うわけです。
きょうだいが欲しいと思ったものの、実際に授かると次から次へと不安が湧き上がってきました。もちろん嬉しいです、嬉しいんですけど不安でした。

妊娠する=赤ちゃんは1人だと思っていた

心拍も確認し、そうかー娘にも弟か妹ができるんだなあとぼんやり考えていました。
事態が変わったのは初診から1ヶ月後。双子だと発覚したんです。
え?先生今なんて?みたいなありがちな言葉も出ず、双子って何だっけみたいな気持ちでした。ゲシュタルト崩壊的な。
私の人生の設計図に「双子」なんてありませんでした。早めに結婚したら子どもは3人欲しい、男の子も女の子も育てたい。40代には育児がひと段落して夫婦で海外に移住しようみたいな。双子かあ。双子って何だっけみたいな。双子、、、

次から次へと湧き上がる不安、、、


母子手帳を2冊受け取った私は娘を抱きしめたまま喜ぶ気持ちとは裏腹に、不安の渦にぐるぐる引き込まれていきました。

腕の本数が足りないのでは

今まさに7ヶ月の娘を抱っこしているのに、これから双子がやってきたら単純に腕の本数足りないなと思いました。そういう問題じゃないと思うんですけど、これは凄い悩みました。娘をみながらどうやって双子を育てたらいいの?3人同時泣きしたらどうしたらいいの?
メルカリで「双子 バウンサー」とか検索したり、Weego ツインという海外の同時抱っこ出来る抱っこひもを見つけては個人輸入法を調べたり。

つわりが始まったら?もし入院したら?娘の預け先は?

誰が娘に離乳食をあげるのか。私がトイレに引きこもっているとき誰が娘をみるのか。
自分の食事も儘ならなくなることをたった1年ちょっと前に経験しています。
つわりが終わると今度はどんどん膨らむであろうお腹。娘をいつまで抱っこしてあげられるのだろうか。
そして最大の悩みは、娘の預け先でした。多胎妊婦はハイリスク妊婦。早い段階で管理入院になる可能性が高いから、娘の預け先を今から考えておくようにと助産師さんに言われました。ハイリスクな現状よりも実家は遠方ですし、夫は激務でした。いわゆるワンオペ育児。え?どうするんだーーー?入院なんてできない。考えてもわかりませんでした。

そもそも3人も育てられるほどの人間なのか不安だったこと、実際はどうなったのか


悪阻は食べ悪阻、そこまで酷くはならず。悪阻の症状が落ち着いているときにマスクをして離乳食ストックをたくさん作り、冷凍保存。ベビーフードにもかなりお世話になりました。夫が仕事から帰ってきてからは家事など全て託していました。
妊娠28週で管理入院決定。しかし長女の預け先を巡って、入院を粘り最終的には妊娠30週で管理入院となりました。管理入院ぎりぎりまで長女のことは抱っこしていました。

腕、足りないよね?

足りませんでした。両親の助けがない状況で私1人で年子の三人育児は難しいと思い、双子の妊娠が分かった時点で夫に育休取得を打診しました。前例もなく、男社会の業界で仕事をする彼にとってかなりの難題でした。しかし娘の出産時から会社に掛け合っていたお陰か、彼の熱意のお陰か、業績のお陰か、無事取得することができました。

上の子の預け先は?

預け先、最後まで考えました。私の住んでいる地域は待機児童で溢れるほどの保育園激戦区。最終的に緊急保育という制度を使って、区立保育園に入園させました。

区にお住まいの方で、通常はご家庭で育児をしている方が、次のいずれかに該当し、緊急に保育を必要とするときにご利用できます。
保護者が、死亡、行方不明等で不存在のとき。
保護者が、傷病又は出産のため入院するとき。
保護者が、入院する親族の看護にあたるとき。
保護者が、災害復旧活動に従事するとき。
保護者が、親族の葬儀を主催するとき又は出席するとき。
保護者が、裁判員(候補者・補充裁判員を含む)となり、裁判所から来庁を依頼された期間。

私が入院中は夫がまさにシングルファザー状態。仕事、家事、娘の送り迎え、私のお見舞いを全てひとりで、しかも嫌な顔ひとつせずにこなしてくれました。彼の支えと頑張りがなければ、成り立たない妊娠と出産でした。

【重要なススメ】相談できることろを作る

同じ境遇のママと繋がる!

悪阻の落ち着いてきた妊娠5ヶ月。思い切ってSNSでマタニティアカウントを作成しました。そこには、双子を妊娠したこと、経過、不安な気持ちなどを書いていました。多胎妊娠のハイリスクさから、周りの友人などには妊娠のことを話せずにいたため、SNSで出会った双子を妊娠するプレママさんとの交流は、心の支えでした。同じ境遇だからこそ、分かり合える不安もたくさんありました。
そこで思い切って、ランチ会を企画しました。それがきっかけとなり、双子会を結成。今では都内最大規模となる双子会に成長し、交流も続いています。

行政のちからを使う

まずはお世話になっている区の担当の保健師さん、病院のソーシャルワーカーさんを繋げました。さらに当時、仕事の関係で産後に引っ越すことも決まっていたので、まだ出歩くことができた妊娠5ヶ月頃に、直接、転居先の区の保健師さんにお逢いしました。三者を繋いで、いつでも何かを相談できる環境を作りました。
行政ってなにもしてくれない、、、と思いの方も、相談できる場所は必要です。困った時の話し相手も必要です。ご両親が遠方の方はなおさらヘルプ先を繋いでおいた方がいいかもしれません。

私の人間性は?

私に3人育てられるのか問題。なんとかなっています、多分。周りよりも早く母親になった代償は社会経験の少なさです。経験値の浅い人間が、3つの命を育て上げられるのか不安でしたが、日々、子どもたちと一緒に成長している気がします。
母親って子どもが産まれた日から母親として生きていくんです。みんなゼロからのスタートで、手探りで母親業をこなしていくんです。もちろん赤ちゃんもそう、外の世界にでて、全てが初めてのことだから、子も親もゼロからスタート。母親のバックボーンは関係ないように思えました。
何故か最初から完璧を求められる気がして、ピリピリしてしまいます。けれど最初から完璧な母親なんていないのだと気付いてからは、気が楽になりました。私が毎日を楽しそうに生きていれば、子どもたちもきっと楽しいのではないかなと。そんな背中を見せながら、これからも奮闘していくつもりです。

さいごに


妊娠期の不安と実際どうだったのか、を書いてみました。次回は入院時のことを書こうと思います。上のお子さんがいての妊娠生活は容易ではありません。2歳、3歳になると、それはそれでまた違う悩みがあると思います。
我が家は両親がまだ働いている上に遠方のため手を借りることは難しかったのですが、その分今まで以上に家族の結びつきが強くなりました。
頼れるところは頼って、甘えられるところがあれば甘えて、なるだけゆったりとした妊娠期を過ごしてくださいね。

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この記事を書いた人

2歳1歳1歳の年子双子のハハ

妊娠5ヶ月の時に双子会を立ち上げました
食べることと音楽、楽器が好きな
サブカル寄りの20代です

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